■2007年1月26日【介護の不安をなくし、高齢者が元気なまちをつくる】 ▼母の老後 私の母は大正12年(1923年)生まれで、今年の11月15日で満83歳になった。26年前に父が亡くなり、以降、母は一人で実家で暮らしてきた。歩くこと動くことが好きだったので足腰は丈夫だし、りんごのほっぺは艶やかで、内臓も丈夫だ。だから、好奇心旺盛な母は、一人暮らしでも平気だろうと、娘の私は楽観していた。しかし、80歳を前後して手指のリウマチの治療や、畑仕事中に右指を骨折したり、手術後のリハビリ中に療法士に右指を骨折させられたりと、入退院を繰り返し、結局、退院しても家で一人住まいはできない、とケアハウスに入居することになった。 ケアハウスは実家の近くにあり、親戚の家々からは近い所なのだが、私の家からは遠くなってしまった。車で片道3時間弱はかかる。50人定員のケアハウスでは、お風呂が週2回、食堂があって、栄養士さんがバランスのとれた献立を立て、食事ができる。陶芸や歌などのサークルがあったり、季節ごとの行事があったりと、人との交わりがケアハウス内でできる。部屋は8畳ほどの個室で、トイレ、洗面室、小さいキッチンもついているので、食事やおやつ、入浴などの決まった時間以外は、自分の都合で生活できる。 ケアハウスは、介護施設ではない。自力で生活できるが、日常生活上の困難さへのサポートも受けられる、60歳以上の人が入居する軽費老人ホームだ。介護度2くらいまでなら入れるらしい。ここで暮らしながら、介護保険のヘルパーを頼むことができる。母の場合は週3回ヘルパーに来てもらい、入浴介助と部屋の掃除を頼んでいる。 母がケアハウス内での生活にも慣れ、楽しみながら暮らしているなぁと安心していたのだが、ベッド上で指を再度骨折し、入院。ようやく退院して、やれやれと思っていた頃、車に轢かれてしまった。今年の8月だった。いち時、生命の危険があり、私と妹は10日間、病院に泊り込んだ。命の保証は半々と言われながら、持ち直し、3ヶ月で退院した(させられた)。骨盤と恥骨の骨折は治っても、今度は左指までが不自由になってしまった。 ケアハウスに戻って生活できるかどうかで、病院の医師や療法士、ケアマネージャー、ケアハウスの職員と話し合いを持った。ケアハウスは自立が建前だから、恒常的な介護が必要な場合は、入居を続けることはできない。以前は、背筋をしゃんと伸ばして歩いていた母だが、事故後は前かがみになり、どこかにつかまりながらの、そろそろ歩き。病院側は、もう自力で生活できますと言うが、ボタンをはめるのも四苦八苦しながら、ようやく一つボタンをはめる。トイレ後にズボンを上げるにも少しずつ少しずつ上にずり上げる。母の介護度は2になった。日常生活上の行動に不自由さを増したが、現在ケアハウスでの生活をまた始めている。身体が老いるとは、どういうことだろうか。 母の場合、事故による身体機能のダメージが大きいのだが、これから老いていくにしたがい、さらに身体は不自由になっていくだろう。娘の私がそばにいれば、母の不自由さを少しは手助けできるかもしれない。いやいや、24時間目いっぱいに活動・仕事している私には、それは無理だろう。どうすればいいのだろう。堂々めぐりに考えあぐねながら、母のケアハウスや病院へと行き来した。 多分、徐々に老いて、徐々に手助けが必要な人には、周りの人たちのちょっとした気遣い、配慮、手助けで行動できるし、自分のやりたいことや人の役に立つことなどもできるのではないだろうか。多分、人は、人の役に立つことで自分を確認できるのではなかろうか。そして、その役に立つやり方は、人それぞれに違う。 自分の生活環境や条件、志向性、能力に合わせて、自分なりの納得の中で、人と人との関係の中で、生きがいを見出し、暮らしを作っていくのではないか。老いるということは、身体の不自由さは増すが、今までの人生経験を生かす範囲が拡がることではないだろうか。他人からの手助けがより必要になるが、その分、違う形でお返しができる。お返しの仕方をたくさん持つことができるのではないか。 ▼元気なまちへ 誰もが年をとるが、どんな風に自分が老いていくか、誰も予測がつかない。人生をまっとうして、満足しながらこの世とさよならしたいのだと、誰もが思っているだろう。 老人医療費の増大や、介護の増加など、高齢化について、マイナスのイメージばかりが言われているが、本来、長寿は喜ばしいことだ。高齢化、けっこうなことだ、より住みよいまち、社会にしていくためにぜひ老人(高齢者)パワーを生かしてもらいたいとの、為政者からのメッセージがあって然るべきだと私は思う。 高齢者が元気で生き生きと暮らしている街では、子どもたちも安心して伸びやかに育っていけるのではないか。そんな街にしていくには、何が必要なのだろうか。 一つの事例として、ふれあい会食の活動がある。公民館に70歳以上の高齢者に来てもらい、一緒にご飯を食べる。皆に喜んでもらえるよう、ボランティアの人たちがせっせと料理に励み、手作りのあたたかいヘルシー料理を味わい、おしゃべりする。ちょっとした健康遊びをやったり、誕生月の人にお花をプレゼントしたり。 いつもの日常の延長上の人との付き合いのなごみがありながら、ハレの日の高揚感もある。そんな場が街のあちこちにできれば、街のコミュニティ作りにもなっていく。独りではない、誰かとつながっている。それはお互い様の関係なのだということが、地域の中で暮らし続ける上で必要だと思う。 さまざまな地域福祉と言われる施策は、そうしたコミュニティなしには施策たりえない。さいたま市でも、2006年3月に「第3期高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画」が策定されたが、こうした計画が絵に描いた餅にならずに、実行されていくには街中のコミュニティ作りが鍵になる。 仕掛けを作っても、土壌がなければ仕掛けは生きてこない。だから土壌の耕しが必要なのだが、それは、市民一人ひとりにかかっている。市民が自主的自発的に動いて、街をよくしていくために・地域福祉を進めていくために、行政がどれだけ、サポート体制をとれているか、必要な情報を発信できているかが、高齢者福祉政策の鍵になるのだと思う。 ▼さいたま市の高齢化状況 高齢化率(65歳以上の人口に占める割合)2005年15.4%(全国平均19.9%)→2015年推計21.5%(全国平均26%)