■2007年1月14日【子どもが伸びやかに育つ街へ】 いじめ、小中学生の自殺、虐待死…毎日、この言葉が新聞に載らない日はない。折しも、教育基本法の「改正」が衆議院を通った。野党の欠席のまま。タウンミーティングでのやらせ質問、質問者への謝礼(これは税金からの支出だ)が出ていることも発覚した。 大人の世界で、本音と建前の使い分け、弱肉強食、いじめがあるのだから、子どもたちの世界でも、弱い子や皆と違う子を排除し、自尊心を傷つけ、居場所を奪っていく、そんなことがあっても不思議ではない。子どもは社会を映し出している。いじめは昔もあっただろう。人は一人では生きられない。誰かの支えが誰でも必要だ。自分の居場所があって初めて生きることができる。 女性が子どもを産まなくなっている。一人の女性が一生のうちで産む子どもの数=合計特殊出生率が1.25だという。埼玉県、さいたま市は、この全国平均よりももっと低い、1.18だとか。少子化対策が言われて久しいが、今の社会では、産まない選択をしても仕方がないかもしれない。女性が、結婚してもしてなくても、妊娠したら子どもを産みたくなるような社会。出産を楽しみに心待ちにできる社会。働きながら、出産し、子育てが安心してできて楽しめる社会。こんな社会だったら、出生率は上がるのはまちがいない。 何が必要なのだろうか。エンゼルプランや次世代育成支援プランなどなど、国=厚労省が方策を示しても効果は上がっていない。多分、社会全体の問題なのだろう。厚労省だけでない、国全体の問題なのだろう。そして、それは国のみでなく、私たちが住む街全体の問題でもある。子どもを産み育てたくなるような街にしていくにはどうしたらいいのか。子どもが慈しまれる街にするにはどうすればいいのか。 さいたま市にも「子ども・子育て希望(ゆめ)プラン」があり、子育てするならさいたま市と、子育て支援の事業に力を入れている。ただ、それらがどれだけ、実効性をあげているのか。少なくとも、保育所や学童保育に入所を希望しても入れない状況を解消しなければ、プランやキャッチフレーズは絵に描いた餅になってしまう。同時に、いじめや虐待という、人間の尊厳をおとしめることを生じさせないようにしなければならない。 子どもが伸びやかに育っていける街は、他の人も伸びやかに生活できるだろう。何か困ったことや理不尽なことが起きても、誰かが手助けしてくれる。お互い様の関係で、もたれ合わずにやれることをやる。そんな関係が街の中にできていたら、誰もがもっと生きやすくなると思う。行政の子育て支援事業は、そうした精神に裏打ちされたものでなければならない。