■2007年1月6日【理想をかたちにしていくには 総務常任委員会鳥取県視察で、片山知事と面談】 9月定例市議会が終わると、常任委員会の行政視察がスケジュールに入ってくる。さいたま市議会の常任委員会は、総務、教育市民、環境経済、保健福祉、都市開発、建設と6つ設置されていて、それぞれの分野ごとに委員会で議案を審査して採決する。議員はどこかの委員会に所属して、議案の質疑や採決をしたり、議案外質問をして行政(執行部)側の姿勢をただすのが一つの仕事だ。議員の見識とか判断力とかが問われるし、執行部側の説明を追認するだけでは議員の職責を十分に果たしているとは言えない。だから不断に知識を吸収したり、情報を得たりと勉強しなければならない。 その一つが視察で、同じ規模の市や先進的な取り組みをしている自治体に行って、説明を聞いたり、現場を見学したりするのが慣わしになっている。視察で得たものを自分の自治体の施策や政策に反映するのが、視察の目的ということになる。というわけで、今年度私が所属している総務常任委員会の視察の話になる。なぜ、この話かというと、鳥取県の片山知事との面談がなかなか刺激的だったから。 片山知事は、新聞や雑誌に載っている写真よりも若くて、発する言葉には説得力があった。知事は面談で開口一番、「なぜ議員の皆さんと会うのか。それは分権時代の現在、自治体の判断権は最終的には議会にあるからで、首長が自治体の決定に責任を持つのは当然だが、議会も同様の責任を持っている。首長と議会とは馴れ合わず、互いに緊張感をもって二輪車で行かなければ、これからの自治体運営はできない~」というような趣旨のことを言われた。 総務常任委員会委員12名、執行部職員1名、議会事務局職員2名の計15名の視察メンバーは、はなから刺激を受けて話に引き込まれた。片山知事は、道州制への見解や県の産業政策、公共事業のあり方などなど、持論を展開されたが、私にとって一番刺激的だったのは、議会と知事との関係だった。知事は、議会への根回しをせず、議場で論戦をする。これからの時代は、自治体の規模より質を問題にしなければならない、そのためには透明性を徹底して高める、情報もつまびらかでなければならない、そのことでチェックがきくようになると言われた。 県の予算や決算が県民にわかりやすくするには、予算の査定、作成過程もすべてホームページ上で公開している。職員組合との交渉過程もすべて公開しているという。さいたま市もそこまで情報の公開を徹底すれば、絶対、市のレベルがいろいろな面で上がるのだろうなぁと思う。自治体の自治は、自ら治めることを意味しているが、市民が自ら判断するには、そのもとになる情報が必要だ。 片山知事の言われるように、情報がつまびらかにならないと自治の力は発揮できない。建前ではどこの自治体も、わがさいたま市も情報の公開は言われている。しかし、実際には鳥取県ほどあからさまに市民に情報は公開されていないし、行政の説明責任も十分に果たされているとは言えない。 さいたま市議会でも、もっとわかりやすい予算書、決算書にというのはたびたび言われている。私も言っているし、私の所属している無所属の会も主張している。予算や決算の審査をするのに、予算書や決算書だけ見ても判断できないのが現実だ。 鳥取県の取り組み、片山知事の姿勢をすごいなと思ったのは、理屈では当たり前でもなかなか着手できないことを実際に行なっていることだ。議会改革や市政改革での基本は、情報の公開を徹底して進めていくことだということを改めて再認識したので、これからの追求課題だ。片山知事は、議場での知事発言、議会答弁に責任を持つ意味から、答弁後のフォローをホームページ上で公開しているという。自分の言ったことに責任を持つ。これもなかなかできるようでできない。大体、議会答弁は「研究します」とか「検討します」という言い方になる。あいまいさを残しているのが一般的。答弁後、どのように研究されたのか、検討されたのか、提言は実施に移されたのかは、議員側が追跡検証しないと明らかになってこない。議会は住民代表である首長と議員との議論の場でもある。自治体の意思決定の場だ。議会が言論の府と言われるゆえんだ。 そして、発言に責任を持つと言うのも至極当たり前の理屈だが、責任の持ち方・現し方にもレベルがあるのだな、というのがよくわかった。視察時に配られた資料に「地方自治職員研修」という月刊誌の「鳥取県で進む議会活性化」という記事のコピーがあった。議会に諮る案件への議会側からの修正や、議員発議による条例制定を積極的に発言している片山知事の姿勢を述べている。実際に鳥取県議会は、知事提案議案の修正・対案、決議や議員提出議案条例などの数は多いし、議会の一般質問する議員の数も多い。議会は活発に議論されいるのだと思う。 面談時冒頭の知事の発言「議会の責任を問う」姿勢は、知事就任当時から一貫している。議会と首長が政治利害や政治力学で対立するのでなく、論戦で、公開の議場で議論によって合意形成をはかるやり方が、本来健全なのだ。県民、市民の利益にも寄与することになるのだ。自治体は国政と違って、議院内閣制ではない。だから、本来、与党とか野党とかの関係付けはおかしいのだ。二元代表制である首長と議会の関係が、教科書的に実行されれば、議会の機能は飛躍的に高まると思う。議員一人ひとりの責任がより明確に問われてくるし、議会全体の力量も上がる。議会に求められている役割は、チェック機能と政策提案機能の十分な発揮にある。そうすることで、有権者への責任、市民生活向上への議会の責任もよりよい形で果たされていくのだと思う。議会会派ごとの利害でなく、議会全体が首長と緊張関係をもって、議会の意思を出していくことこそが、私の考える議会改革・議会活性化なのだが、そのイメージに片山知事の発言がリンクされて、刺激を受けた。 そして、もう一つ、刺激を受けたのが、あて職である外郭団体の長を片山知事は返上したということ。自治体が出資して運営している外郭団体は、公共的な仕事を担っている。現在は指定管理者となって自治体と協定を結び、自治体からの業務を引き受けている別組織の団体だ。そのトップに自治体の首長がなることが多い。 2004年2月議会で、初めて予算特別委員会が設置され、その委員に私がなったとき、総務関係の予算審査で、市から補助金交付金を受けている外郭団体の代表に市長がなっていることへの質問に執行部の答弁が出ず、質疑が一時ストップしたことを思い出した。市長が代表になっている団体に、市長が補助金や交付金を出すのはおかしい、と今でも思っている。片山知事が長を返上した理由は、知事の職責をまっとうするには、外郭団体の長まで引き受ける余裕がない、ということで、そうだろうなと納得。 鳥取県への視察テーマは、片山知事との面談の他に、トータルコスト予算分析についてと行政経営推進課の業務についてがあって、そちらも、担当セクションの職員から率直で忌憚のない意見を聞くことができた。行政がどこに顔を向けて仕事をしているか。中央省庁か、県民かを考えさせられた。職責をまっとうするには不断の努力と知恵と創意工夫が道を拓く。そんな感想を持った。時間がいくつあっても足りないだろうな。県政(さいたま市にとっては市政)は、これで完了!いい!ということはない。 (ちなみに、鳥取県の人口は60万人。さいたま市の人口は119万人。面積は、鳥取県はさいたま市の16倍もある。議員数は鳥取県議会は38人、さいたま市は現在71人。)